調和の暮らし Mandala Life 

自己最適化 大宇宙の一部として

同じパターンの繰り返しにより重たくなった自分という残像が砕かれると、軽くラクになった。無我。賢明に自分というかたちを保とうとすることは、とてもエネルギーを使うことだと思う。存在する意識ではなく、我の生存が、生存欲求になっているのだときづいた。
宇宙のなかで最適な存在であることを、みな約束されている。すべて最適で許されているというかたちが球。
我という残像ではなく、一瞬一瞬、新しく自分を結ぶとき、宇宙の誕生からいまここまでの道をすべて体験してきたDNAは、その記憶を持っていて、それはすべてポテンシャルとして存在するので、必要であれば発現する。
体・情・魂・霊・神というような階層性は、整理発動調和循環させるために、とても重要だった。
いわゆる死は身体の死であり心肺停止。死=静止。死んだらラクになるとか死にたいという思いは、たいてい感覚と感情の階層が苦しいのであって、それは静止させることができる。時空間の四次元でなければ物質的な体は存在しない。自我を消滅させると時空間はなくなり、魂から発する力を神の方へ向けることができれば、宣言することではじまりとおわりの存在を同時に創造し、最適な霊の結びによって未来を確定する。

内観しかみくだく 人生が聖典

還元と創造のエネルギー循環を内観する。 高いところに上ろうとがんばると逆向きの力が働く。内に意識を向け、ブラックホールに吸い込まれるようにすーっと落ちていったところに、意識せずともあるところ、そこからふっと、向こう側へ抜ける。落ちるのは重力または引力。自分の中心と地球の中心はブラックホールへ接続し、空というエネルギー場で内外反転となり、天から向かってくる引力で意識がひきあげられる。自分の中心を抜けると世界の果てがある、というトーラスになっている(仮説)。

欲ではなく問いによって、自在に生きる

問いは意志。答えを求めると道ができる。問いの器量によって未来がひらいていく。 問があれば、死ぬまで創造的。
自分と宇宙の法則を読み解き確かめるために、照応させるということをする。
足元から、地に足をつけて、というのは、現実の延長線を見てしまい、しがらみが足かせになるかもしれない。物理的に変えるのは力がいるし極端にすると崩壊させるので、軽いところから通せばいい。大地だって揺れ動くし、人は動いてこそ見えるし意義あるし、神は不動なのだから、神霊魂情体の方向で。
神といってもなかなか掴めるものではないので、方向を定めると行きつく場とする。その方向を目指す霊は、結びを起こす。関連性をみたり照応したりデザインは結びであるので、その分野が得意なのは霊。言葉も限定的ではあるけれど結び。関連性やデザインを意識するときは、統合、循環、最適化、のようなことが無意識にも目指されている。

社会 道

成熟した社会は、複雑にごちゃまぜではなく、分別することで迷わず分かり人間活動が最適に行われる。優劣をつけるためにふるい分けるのではなく、ゆさぶって、あるべきところに配置する。水田のように必要なものが隅々までいきわたる。他力を借りるからこそ自他一如なのがわかる。
平穏・幸福の条件があるほど不自由になる。何々があるから平穏幸福、ひとものかね環境が平穏の条件だと、それを失う不安が同時に明確になる。自己に対する信頼と安心こそ、無条件の平穏。
不確実流動のなかを自在に最適な場にワープするには、中今に点で動く。全体性のなかに階層と位相を整えておくこと。

労働 人権

経済活動は、結果に執着し、最も意識を重たくする領域。争いが多い。ぶつからずにすりぬけるには、精妙な霧と化するしかない(^^;)
心身ともに負荷のかかる介護職をしていても、立ち返る場でBeing peaceに戻れるとき自己に対する信頼と安心を感じる。しかし介護を工場と同じ労働市場にのせた介護保険システムが不適切。少なくとも全国で200万人以上が介護従事者であるものの人手不足のため、ブラックな労働にならざるをえない事業所が多く疲労している。閉塞した社会で、福祉は社会の中心から最遠の吹き溜まりになっている。
きれいごとの理念ではなく、憲法をかかげ、とくに第三章を遵守するとうたうなら、いかに遵守できてないかわかるかもしれない。
私の意識は中心にあるため、そこから最遠の表層へ出向いていっても、意識がじたばたすることはない。知識は働かない。動かすのは知恵。制度は秩序ではない。社会保障は善ではない。人は余剰を分かち合うことはできても、負担を分かち合うことはしたがらない。

自然美と造形美

花の色形はなぜ美しいのだろう。美しさとは何だろう。ひじょうに深い問いを、ずっと持ち続けている。ゆらぎが心地よいことは分かった。何かに、共感、共鳴している。
心身に宇宙と自然の法を照応させ、自らが小宇宙であるから、陽光、野草、微生物など自然物の、色形、サイクル、リズム、スピード、それらと親和すると心地よく思う。
自然エネルギーを受け、人の心は繊細に微細になってゆく。その繊細さは、ただの風ではない息吹を、ただの水ではない神秘を、ただの大地ではない生命力を、ただの火ではない術を、ただの空ではない統合場を、そのように意ある美として物語られたりする。
十分に味わい、やがて、美に対する愛着をも手放せるようになる。知覚するすべてが創造の一点に還元される。