調和の暮らし Mandala Life 

大宇宙の一部としての自己最適化

大宇宙という公の視点では、存在するものすべてが、どの瞬間においても宇宙のなかで最適な存在であることを、みな約束されている。選り好みや善悪優劣等のジャッジがない。そのかたちが球。
自己のなかで、同じパターンの繰り返しにより自分という残像は重たくなっていく。自分というかたちを保とうとすることに、エネルギーを使ってしまう。存在そのものではなく、自分像を保つことが生存欲求になっているのだときづいた。
宇宙の誕生からいまここまでの道をすべて体験してきたDNAは、その記憶を持っていて、それはすべてポテンシャルとして存在するので、必要であれば発現する。
体情魂霊神(AOUEI))というような階層性は、整理発動調和循環させるために、とても重要だった。

つねに曼荼羅(円満)にいるということ

好き嫌いのように二極を遠ざけると、距離が開き、距離が時差になる。これは時空間に慣れた思考のトリックで、実際は距離がないが遠い気がする。現実は自然界の法則にそっているので、時差はあるのだけれど、拮抗するものが同時存在するのは面・二次元。地に足をつけているときも力が拮抗しているからこそ反動で体を動かすことができる。生命の仕組み自体がフリーエネルギーそのものであるけれど体は物質なのでやがて静止する。エネルギーの物質化によって人間の身体はできている。

内観しかみくだく 人生が聖典

還元と創造のエネルギー循環を内観する。 高いところに上ろうとがんばると逆向きの力が働く。内に意識を向け、ブラックホールに吸い込まれるようにすーっと落ちていったところに、意識せずともあるところ、そこからふっと、向こう側へ抜ける。落ちるのは重力または引力。自分の中心と地球の中心はブラックホールへ接続し、空というエネルギー場で内外反転となり、天から向かってくる引力で意識がひきあげられる。自分の中心を抜けると世界の果てがある、というトーラスになっている(仮説)。

欲ではなく問いによって、自在に生きる

生命体に最も重要なのは生存意志。問いは、生存意志に意義を求める動力。答えを求めると道ができる。問いの器量によって未来がひらいていく。問いがあれば、死ぬまで創造的。
自分と宇宙の法則を読み解き確かめるために、照応させるということをする。

デザイン

足元から、地に足をつけて、というのは、現実の延長線を見てしまい、しがらみが足かせになるかもしれない。物理的に変えるのは力がいるし極端にすると崩壊させるので、軽いところから通せばいい。大地だって揺れ動くし、人は動いてこそ見えるし意義あるし、神は不動なのだから、神霊魂情体の方向で。
神といってもなかなか掴めるものではないので、方向を定めると行きつく場とする。その方向を目指す霊は、結びを起こす。関連性をみたり照応したりデザインは結びであるので、その分野が得意なのは霊。関連性やデザインを意識するときは、統合、循環、最適化、のようなことが無意識にも目指されている、省みたらそうだった、という時空を超えた感覚。

社会 道

成熟した社会は、複雑にごちゃまぜではなく、分別することで迷わず分かり人間活動が最適に行われる。優劣をつけるためにふるい分けるのではなく、ゆさぶって、あるべきところに配置する。水田のように必要なものが隅々までいきわたる。他力を借りるからこそ自他一如なのがわかる。
平穏・幸福の条件があるほど不自由になる。何々があるから平穏幸福、ひとものかね環境が平穏の条件だと、それを失う不安が同時に明確になる。自己に対する信頼と安心こそ、無条件の平穏。
誰の世界観も侵さないように、自分と相手の「間」の場で交信する。「あなたの人生はあなたが主役です」そう認め合う多次元が交信する場を設定する。違う周波数はぶつからずすりぬける。感情をぬけて真我同士でコミュニケーションがとれやすい。

労働 人権

経済活動は、結果に執着し、最も意識を重たくする領域。争いが多い。ぶつからずにすりぬけるには、精妙な霧と化するしかない(^^;)
心身ともに負荷のかかる介護職をしていても、立ち返る場でBeing peaceに戻れるとき自己に対する信頼と安心を感じる。しかし介護を工場と同じ労働市場にのせた介護保険システムが不適切。少なくとも全国で200万人以上が介護従事者であるものの人手不足のため、ブラックな労働にならざるをえない事業所が多く疲労している。閉塞した社会で、福祉は社会の中心から最遠の吹き溜まりになっている。大宇宙のフィードバック機能と自然治癒は、一体どのような措置を下しているのか。
きれいごとの理念ではなく、憲法をかかげ、とくに第三章を遵守されているか?を問う。
それでも私の意識は中心にあるため、そこから最遠の表層へ出向いていっても、意識がじたばたすることはない。どんな現実でも向き合って受け止める覚悟があるのか? それができるのは知識ではなく知恵。制度は秩序ではない。社会保障は善ではない。人は余剰を分かち合うことはできても、負担を分かち合うことはしたがらない。言葉の概念がまったく都合のいいように改変されてしまっている。

自然美と造形美

花の色形はなぜ美しいのだろう。美しさとは何だろう。ひじょうに深い問いを、ずっと持ち続けている。ゆらぎが心地よいことは分かった。何かに、共感、共鳴している。
心身に宇宙と自然の法を照応させ、自らが小宇宙であるから、陽光、野草、微生物など自然物の、色形、サイクル、リズム、スピード、それらと親和すると心地よく思う。
自然エネルギーを受け、人の心は繊細に微細になってゆく。その繊細さは、ただの風ではない息吹を、ただの水ではない神秘を、ただの大地ではない生命力を、ただの火ではない術を、ただの空ではない統合場を、そのように意ある美として物語られたりする。
十分に味わい、やがて、美に対する愛着をも手放せるようになる。知覚するすべてが創造の一点に還元される。