調和の暮らし Mandala Life 

自己最適化

前略・・・自他一如であった。
そこから分離した自らが何であるか、まず自分の体を見た。自分の体を、DNAの記憶を聴くように網羅した。意識を向けるということから、発見が始まる。
宇宙の誕生からいまここまでの道をすべて体験してきたDNAは、人だけではなかった(共感の記憶として)けれど、同じ創造意志から生まれた、その記憶を持っている。生き抜くという意志。いのちをつないできた、あらゆることが私を創っている、善悪も優劣もなく、私のうちにすべて役立ち、その働きは八百万の神となる。
体・情・魂・霊・神(宇宙の根源は、あめのみなかぬしと命名されている)
人には階層があるという概念を受け取り、確かめた。
それぞれの階層を精妙に、バランスを整える。と、鎮まりながら力が満ちる。
あるとき、体感からすっと神の階層まで抜けるようになった。神の経が通った。ならば、逆方向もあるだろう。神(脳)からの指令が体まで通ることになる。
ベストな状態というのを、まっすぐ、宇宙の根源を向いている、という感覚で掴んだ。時空間で避けても遠回りしてでも、最短最速で、宇宙を創造したパワーに共鳴する(意志)。 地球が太陽系から外れることなく、太陽を向いている、地球の意志、そのようなもの。
結びは、世界は我。自分を完全にコントロールすることだと知る。向き合う物事も、神と思えば神の働きをしている(言葉では適切な表現ができない)。
ただし、神を自分のものと思っているうちは通っていない。体情魂までは自分であるが霊神は共有のエネルギー場、神は無限であり根源であり、自分というものがない。

時空間 重力(カルマ

いのちは時空間のなかで育てられる。
過去は即未来のエネルギーに転じ、エネルギーは無限循環する。
時空間は生きる喜びを感じる場であるとともに、私たちを分断しているように感じるのは時空間があるからで、超えればひとつ。
超えるということは、あらゆることを解決する。
私たちの恐怖や不安の原因はつねに時間とともにある。今と離れた未来のことだから。感情は精妙ではなく荒い塊のようになっていて、一瞬先の未来が今になっても、ずっと引きずられていく。
自分が、創造の神と一如になれば、恐れが恐れではないことがわかるのだけれど。
社会のなかの時間は、ごまかしや嘘を温存することもあるし、自分自身に嘘をついて、それを本当だと思い込んでしまえば主体性がなくなってしまう。

導き

なぜか惹かれる気になる好むものがあることは、生前や個人以外の記憶があることの証拠であり、人生を無意識のうちに導くもの。
血縁に苦しんでいる人。先祖を辿れば種々の罪だって成されたでしょうが、血縁が汚れているわけではない、遺伝子が汚れているわけではない。自分の存在によってすでに統合している。パワーの源泉、豊かさの源泉は遺伝子。最小単位では純粋な力。現れ方のオンオフを、主体がコントロールすればいい。
遺伝子組み換えは因果の書き換え。進化したい意識と同時にすすんでいる。しかし物理的に主体を変える必要はない。主体の意志に反する状態は持続しない。因果関係でなない、いわゆる、びっくり現象の作用機序とは。進化は意識によって発現する、不自然を自然に変える適応。

自然美

花はなぜ美しいのだろう。美しさとは何だろう。ひじょうに深い問いを、ずっと持ち続けている。ゆらぎが心地よいことは分かった。何かに、共感、共鳴している。
心身に宇宙と自然の法を照応させ、自らが小宇宙であるから、陽光、野草、微生物など自然物の、色形、サイクル、リズム、スピード、それらと親和すると心地よく思うし、さらに活用することができる。
花の形は曼荼羅のように美しい。放射状、対称性、相似性、螺旋、生命の表現、自然美は、意識を言葉にならない領域にもどし(高めて)てゆく。


人生のスキル

自分を使いこなして、人生を豊かに、深く広く多様にするスキルはリテラシーと、読み取ったことを扱うスキルと思っている。インプットはすべて情報、アウトプットは情報がなければ始まらない。
具体的に知る必要があるのは、自分を知る、宇宙の法則を知ることで、知るとは、確かめること。確かめるには、私は照応させるということをする。
照応させる対象は、森羅万象の自然法則(変化するもの)、宇宙の法則(変化しないもの)。
これらの法則を、空間に浮かび上がるかたちだったり、さらに数字、循環を表す九進法を使って座標を示す人もいる。読み取ったことを動かすためのデザインなのだろうけれど、私はそこまで到達していない。
森羅万象が整ってみえてくると、人の役割とか、豊かさなど、価値観に幅がある事にも、裏付けがあることがわかってくるし、人、動物、植物、地球(元素)も、同じ元素から成っているのだし、宇宙の心、意志の力、役割として私たちが生きている気がする。
宇宙を無限にするのは、循環であって、それが生きているということ。生命体は、食べることでも、元素循環、いのちの循環も担っている。

労働

心身ともに負荷のかかる介護職をしていても、立ち返る場でBeing peaceに戻れるとき自己に対する信頼と安心を感じる。ストレスを主体的に調整していけるなら世間に言われるほどきつい労働でもなくなるが、予測と予防がきかない。のみ込まれたら寿命が縮まるだけかもしれない。少なくとも全国で200万人以上が介護従事者。200万人が介護負担を支えて、それに見合った成果が出ているとはとても思えない。
介護を工場と同じ労働市場にのせた介護保険システムが不適切ながら、自分は違う次元で生きている。けして既存のシステムに支配されることはないのだと。
内部崩壊している現場は多数あると思われる。コロナ渦でますます閉鎖的になってしまった。たとえ戦場であっても、そこに人や社会ではない、絶対である天の法の働きが、どのように現れてくるかを見届けるしかないと思っている。
そんな状態でも、自分で選んだ場は利用する。様々な意識の検証をしている。思いがけず、怒りの正体というものを掴んだ。また、意識のエネルギーは無限ということも。通常、身体が主であるけれど、意識が主になり身体をコントロールするときは、限界超越ということも可能であろう。

社会 道 方便から真実へ

成熟した社会は、複雑にごちゃまぜではなく、分別することで迷わず分かる、人間活動が最適に行われる。優劣をつけるためにふるい分けるのではなく、ゆさぶって、あるべきところに配置する。水田のように必要なものが隅々までいきわたる。他力を借りるからこそ自他一如なのがわかる。
最適は、判断しないことの宣言でもある。人の最大の権力は決めるということであるが、何が最適かは、全知の神でないとわからないので、そこに任せる。
外の世界は直接、自分になんら影響を与えていない。受信した私の情緒感情認識が、影響を受けたと錯覚する。受け身だと錯覚が起こる。想像創造しているのは自分である。記憶を引き出しているともいえる。目の前の人は、過去生の自分であったりご先祖様の投影である可能性もある。方便だったのだけれど、そろそろ、方便から真実へ戻さねばならない。
すべては非連続的な存在。私たちの力は、現象として「結ぶ」ということをする。物を見るときも像を結ぶという。
体感の目的を変化させた。五感は動物的に危機を察知し生命維持の目的が当然、あるけれど、究極の目的として、体感を通して宇宙と通信することを設定。体は宇宙と対照性を持つ。通信可能なのだ。自身を通じて直知することで、神という存在を確認する。
すべての情や想いは、もとは生存欲求から発する。それが確認できると、心配が体を壊したり怒りが恨みになったり悲しみに未来を失ったりしない。