調和の暮らし Mandala Life 

自己最適化

すべての記憶感情思考情報を意味を持たない最小単位に還元し、感謝によってあらゆる対象を昇華し、まっさらな自分(まっさらな自分とは自分という個人ではなかった)を体感するということが、ごく短時間にできるように実践中。
その体感のメドは、何もないなかに、ただ存在するという喜びや感謝がわいてくるまで。同時に私という存在に、絶対的な安心、宇宙の根源とのつながりを確信できる。
自分は小宇宙のように様々なものから構成されていて、それらがゆるぎなく整った、と観じるところがはじまりの時点。地球の次元での力は、バランスによるエネルギーなので、整った中心からは、無限のエネルギーが発生する。それを精神性が、生きる意欲や創造性に変容させていると、現在の私のレベルでは想定した。

愛という言葉は感情を刺激してしまう。言葉そのものが、愛の反対は無関心だとか二元性を感じさせる。神の視点に善悪はなく、あらゆる現象をシステム的にとらえるものではないかと。普遍・網羅するのが慈悲、統合するのが愛、と。自然美(全体性、意識の広がり、変化してゆく美、執着のなさ、無限循環という旋律)に浸ると心身が洗われて整う気がするのは、思考や感情を取り除くからだと思われる。

導き

自己を客観視してはじめて自己の存在が確認される。過去の自分も観ることができる。だれでも、子どもの頃の自分を思い出すと、神性をみることができるのではないか。私個人は、小学校でひとこともしゃべらない日もある沈黙した子であった。静かな自然美をじっと見つめ、やがて詩を書き始めた。そこに表現されたのは神心であったと思い出す。
また、なぜか惹かれる気になる好むものがあることは、生前や個人以外の記憶があることの証拠であり、人生を無意識のうちに導くもの。
現実的に、時場を選んで生まれるのだろう。足りないものは必然的に求めるようになっている。すべてのことは、時にかなって美しい(祝福される)。そこに神の技である最適性を見だす。苦しい境遇に生まれた人ほど自分を愛せないし、ご先祖様に感謝できないどころか、恨んでしまう。自他を含めすべてを肯定し、生きている喜びに満たされたとき、自ら封印した力が解き放たれる。

そこで最初に戻るすべては法であるからして、順序と作法があるのだ。
まっさらな自分は、自分ではなく、自他一如であった。そこから分離した自らが何であるか。まず自分の体を見た。自分の体を、DNAの記憶を聴くように網羅した。
DNAの意志を一致させる。ともに行く道を、体内で統合させるのだ。
私たちの体は、見えない神(働き)の現れであり、宇宙の最小単位。私たちの体は神の働きを、八百万の働きをする。動作も細分化すれば、善悪なく優劣なく、すべて神の働き。意志から発した信号に応じて体は動く。



労働

心身ともに負荷のかかる介護職をしていても、立ち返る場でBeing peaceに戻れるとき自己に対する信頼と安心を感じる。最新の設備によって体の負担軽減も進んでいるけれど、意識によって軽減できることも多い。筋力のない私は、いわゆる気合い、気の力を使わざるをえない。たとえ嫌な感情が現れても、悪しき言葉を発しても、客観視して破折。あくまで自分は壊れない。ストレスを主体的に調整していけるなら世間に言われるほどきつい労働でもないが、のみ込まれたら寿命が縮まるだけかもしれない。
個人的に、ある実践の検証をして、その場を存分に利用している。
介護を工場と同じ労働市場にのせた介護保険システムが不適切ながら、自分は違う次元で生きている。けして既存のシステムに支配されることはないのだと。
内部崩壊している現場は多数あると思われる。コロナ渦でますます閉鎖的になってしまった。たとえ戦場であっても、そこに人や社会ではない、絶対である天の法の働きが、どのように現れてくるかを見届けるしかないと思っている。
認知症対応や死生観の最適化に関しても、脳や意識の研究と同時に意識進化が望まれる。

環境 社会 道

地球環境の悪化によって循環してくるものは避けられない。高価なもので身を護ることができたとしても、自分さえよければというわけにはいかない。
自己最適化により豊かになれば、プラスになったこと還元してゆく。
最適は、判断しないことの宣言でもある。何が最適かは、宇宙の秩序に任せる。
外の世界は直接、自分になんら影響を与えていない。受信した私の情緒感情認識が、影響を受けたと錯覚する。受け身だと錯覚が起こる。想像・創造しているのは自分である。記憶を引き出しているともいえる。目の前の人は、過去生の自分であったりご先祖様の投影である可能性もある。
すべてはパルス、点、非連続的な存在。私たちの力は、現象として「結ぶ」ということをする。物を見るときも像を結ぶという。
体感の目的を変化させた。五感は動物的に危機を察知し生命維持の目的が当然、あるけれど、究極の目的として、体感を通して宇宙と通信することを設定。体は宇宙と対照性を持つ。通信可能なのだ。自身を通じて直知することで、神という存在を確認する。
自律し主体性を持ったとき、創造力が発動する。生き方が、創造的になっていく。表現力、対処力、創意工夫。問えば答えは瞬時にある。困ったと思った瞬間に解決の道が開ける。

自然美

分けて階層化をすると、統合させたり照応させたり扱うことができる。心身に宇宙と自然の法を照応させ、自らが小宇宙であるから、陽光、野草、微生物など自然物の、色形、サイクル、リズム、スピード、それらと親和すると心地よく思うし、さらに活用することができる。
花の形は曼荼羅のように美しい。放射状、対称性、相似性、螺旋、生命の表現、自然美は、意識を言葉にならない領域にもどし(高めて)てゆく。